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もう10年ぶりぐらいに、とある公共施設に行ってきた。私の知っている即興舞踏のグループがそこでまだ活動しているらしいことがわかっていた。ふりかけ団地のチラシを渡す相手として思いついた唯一の人、代表のOさんに連絡を取ってもらったが電話は来なかった。7月の半ば、活動日になっているので行ったが、直前キャンセルされていた。
今日こそは会えるかも、とちょっと緊張していた。電話がかかってこない理由として思い当たることがあり、嫌われているのかもと思っていたからだ。
1時開始から30分遅れて到着。ここの近辺はなぜかカーナビに住所を入れても、同じところをぐるぐる回ってしまう妙なトライアングル地帯で、施設も、昼間から受付もおらずさびれている。昔舞踏に使っていた1Fの部屋は、老朽化で閉鎖になっていて、使っているはずの2階からも物音一つ聴こえない。まるで、ゴーストタウンに来てしまったような寂しい感じは10年前も少しあった気がする。
グループ在籍の女性が来たのはさらに1時間ぐらい経ってからだった。
「昔お会いしたことあります。」間抜けなことを言って近づいた。Fさんというその女性の即興舞踏のソロ舞台を見に行ったことがある。一緒に居酒屋で飲んだ記憶も蘇る。「そうだよね。」という笑顔に昔の面影が蘇った。
「Oさんはがんになっちゃって、今、弟さんが世話していて、外に出るのも大変みたいなの。私も手とかいろいろ故障しちゃって。いまは一人で練習しているのよ。●●ちゃんも死んじゃったし●●さんもいなくなって…。」Fさんは細い手首に包帯を巻いていて、目が少し白濁しているので、白内障かなにかがあるのかもしれなかった。
「あの、女装されていた方いましたよね。」気になっていたことを聞いてみた。
「ああ、Iさんね。死んじゃったのよ。」
話はさかのぼるが、私はその舞踏のグループに一時通っていた。CDをかけるか、無音の中で各自即興で踊り、お互いに見るという会だった。Iさんは抜きんでてインパクトのある人だった。50代後半ぐらいだったろうか。顔は芸能人のように整って端正なのだが、長いスカートと黒タイツとブラウスで女装をしていて、長い白髪交じりの長髪をたたえていた。
クールで口数が少なかった。いつも口角を少し上げた感じでうっすらと笑っているような表情だった。がっちりとした体格で、陶酔の中で激しく体当たりするような踊りをしながら、どこか感情がないあきらめたような雰囲気があった。忘れられないのは、あまりお風呂に入っていないようで、足のにおいが強烈で、それでいてはだしで踊っているので、こういうことって誰も注意できないけど、どうしたものかとひそかにいつも思っていた。でも、優しくて話しかけやすかった。足さえ洗ってくれればいい人なんだけどなあ、と思っていた。飲みに行ったとき、大学の歴史の先生だと言っていた。『学校でもこれで(女装で)いってる。』『別に誰も気にしてないよ。』『授業もみんなあまり聞いていないし。』と言っていた。
あまり打ち解けることもなく会うこともなくなったが、ある夜、私が友人男性といた時、赤いドレスのIさんにスタンドバーでばったり会った。私は連れがいて陽気な気分だったので、屈託なく声をかけた。「Iさん、お久しぶりです。」「踊ってますか?」すると「踊ってない。知らない。」という。「え?●●会で一緒だったなほこです。」といったが「知らない。」といって、口角を少し上げた顔でじっと顔を見ている。何を言っても「知らない。」と首を振り、目は私を通り抜けて遠くを見ているような感じだった。友人とそのまま外のテラスで飲んでいたが、ちらりと見た先では、Iさんがすっくと立って、カウンターでワインを飲む後姿が見えた。それが8年ぐらい前になるかもしれないが、その時Iさんが気を悪くしたのが、Oさんと連絡が付かない理由なのかもしれないと思っていた。まさか亡くなっているとは。
「なんか、身体を壊してるんだけど、お酒を辞めないからどんとんボロボロになっていったんだよね。沖縄が好きで毎年いってた石垣で倒れてたんだって。」女装して普通の大学で歴史を教えているなんて、相当精神的に強く、自分を持ってないとできないことだと思う。でも私が見たIさんの印象は、深いあきらめのオーラと、ほとんど知らない人だけれどどこか途方もない優しさを持っているような印象だった。
この会に繋がった切掛けの室野井洋子さんという舞踏家も、最近知ったが、かなり前に亡くなっていた。体の線が細くて、しなやかで芯のある女性に見えた。この方もガンだったようだ。
「あたしも去年は40万ぐらい公演につぎ込んだわよ。自分で出たいといった人に出演料払ったりしてね。」Fさんは言った。私の渡したチラシを見て、「こんな高いと誰も来ないわよ。みんなお金ないし。」「生活大丈夫なの?年金は?生活保護はうけてないの?」本当にアーティストというのは、月に何度もこうやって一人で稽古を続けながら、人に見てもらうために、お客さん集めの労力と大金をつぎ込んで体を壊しながらやっていく人が多い。即興舞踏となると、またマイナーな世界なのでさらに厳しい所だ。
「すごくいい企画もあったわよ。出る人も皆、千円ぐらいギャラが出て、見る人もお酒飲みながら踊りが見られて、企画は全部その会場がやってくれた。お客さんは自分たちで呼ばなきゃいけないけどね。あの企画はよかった。」
私は言った。「自分は人に見せる公演の為にチケットを売るのはつらい。大野一雄という人間国宝みたいな人が生きているときに、高いお金を払って舞踏を見に行って5分で寝てしまった。人がやるのを見るぐらいなら、自分がやるほうにお金を使いたい。」言っているうちに、ちょっと不快そうなFさんに気が付き、大きなお世話な話をしていることを反省した。「ワークショップには私もお金をかけたわよ。何万円も払ったわ。あれはそれなりの訓練をした人が教えてくれて…。」
値付けって難しい。自分の収入より支払いの方が多くなり、気が付くと結局、まあ自分が犠牲になればいいという結論になってしまう。なぜ、そんな馬鹿バカしいことをするんだろう。ある人に言われた言葉。「あなたは生きているって感じたいからやってるんだね。幸せを感じたいんだね。」
この生きようとする営みに、常に豊かなお金の流れが伴いますように。と祈るような気持ちになるのだった。自分はもちろん、すべての人が。 -
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「ふりかけ団地(たまに声がする)~本宴~」チケット販売を始めました。
前夜祭の様子をブログの募集ページにアップしました。
https://furikake.ria10.com/
和楽器の達人の友人Y氏がticketを買ってくれたお陰て、前夜祭を行うことができた。また、音響さんも、楽器と音響機材で即興遊びに狩り出した。それがやたらに上手。聞いてみるともともと昔は椎名林檎などのコピーをするバンドで、ベースギターを弾いていたそうだ。初めての指ピアノやY氏の持ってきた古典楽器を借りて、自己流に不思議な音を出している。
もっと大勢でやると楽しい。生まれたばかりの音楽に踊り手が乗っていく。
【初のお客様Y氏の感想】- 思ったよりずっと面白かった。
- ここに来るまでの高級住宅地に上っていく道がとても面白い。
- 体験型なので、料金も高いことはない。
- 音響と照明が気分を盛り上げる。
【反省点】
- 舞台は真ん中がいいと思った。
- 踊り手の為、舞台の前は解放しておく。
- タイムキーパーか、ちゃんとした「ゴング的なもの」必要
- セッションの時間は短くても5分は欲しい。
光源寺のご住職は女性で、娘さんも法衣を着て、お昼は法事の読経をされていたが、イベント終了後ご住職が、「素晴らしい笛の音がしておりました。」と安心された。たまに”奇声”がするのは、サブタイトルにもなっているのでどんまい。
娘さんである尼さんはクラリネットをされ、練習でよくこのホールを使っているらしい。とても音の響きがいい。チラシを快く受け取ってくださった娘さん。来月はクラリネットで参加してくださらないかしらん。引きこもりしている方も、天岩戸から出てきて、一緒にここで声を出しませんか。
#インプロビゼーション #即興 #イベント #トランス #覚醒 #調布 #AI #ひきこもり #アート #和楽器セッション #ヴォイス #セッション #表現 #ゆるいつながり #都内 -
一夜明けました。ふりかけ団地前夜祭。
大成功と言っていいでしょう。
まずは共同の活動を停止した中で、武士の情けでチケットを買ってくれたY氏のお蔭で、この前夜祭が本宴のただの打ち合わせとならなかったことに、感謝を伝えたい。
チケット販売数は2枚だが、一枚はチケットの買い方と提示の仕方を試すため自分で買ったので、まさに、ゼロイチからの挑戦、と言っていい。何が大成功かというと、私が、ついこの間までの引きこもり状態から、ただ粛々とイベントを立ち上げ、絶望的な気持ちにならず、本番当日も気持ちよくこの状況を楽しめたことだ。この企画をして、これからも継続可能というような、ちょっとよくわからない自信のようなものもある。
人にも頼らず、と言いたいところだが結局前夜祭に関しては、音響さんは機材利用料無料でやってくれており、そしてお寺に関しては、お客さんがいない状況に驚いて、ものすごい割引価格にしていただいた。合掌。
内容についても、奇跡はいろいろありますが、Y氏がもともと、本業の笛を吹いているより、阿波踊りで即興の笛を吹いているときの方が生き生きしているような方でもあるので、こちらは上手で当然として、人がいないということで急遽音出しに関して自由即興をお願いした音響Hさんが、使ったこともない楽器を見たこともないような使い方で素晴らしい演奏をしたことがひとつある。
これは私から解説したいが、即興に集中した時、手は自然に動き、プロ顔負けの演奏をすることがよくある。私も昔アフリカの太鼓奏者のワークショップでなんだか右手が生き物のように勝手に動いてカスタネットを二度とできないような神業で鳴らし続けたことがある。
ひとりで千人分の即興をやれるY氏とHさんを見ながら、音を出す人がいない心配をしていた私は今度は、踊ってくれる人が欲しい。とまた新たな希望が生まれた今日だった。
そして、自分は…。もうやる気よりも義務でやる気だった即興だったが、その面白さに気持ちが復活し、ああ、これってプレッシャーない。ただ楽しい。この楽しさを一人でも多くの人に味わってほしい。と思うのだった。
映像に関しては、可能であればアップして、本宴に備えたいと思っています。
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明日前夜祭。チケットは一枚しか売れていない。
いやなことはしないといったものの、最後の日のチラシで、お客さんをゲットすることはよくあると思うと、(なぜ今?)桐朋学園の前へ。
校門の壁にさす日陰の形と化して、出てくる学生らしき人々に、「インプロビゼーション興味ありませんか?」と細々とした声でチラシを渡す。夏期講習会かなんかで、たまに美しい若き女の子や年配の教員らしき人が通る。たまにしか通らないので、暑さよりも退屈さにくじけそうな中、そうだ、番頭さんに笑わせてもらおうと思いついた。旦那=私「今、桐朋学園の前でチラシ配ってるよ。なんか奇跡おこらんかねえ。」番頭=チャットGPTおお!桐朋学園の前とはそれはまさに芸術の源泉、感受性のるつぼ。その場所でチラシを配るとは奇跡を起こす準備は万端でございますな。こんなことを試してみては?
● その場で「即興一言アート」やってみる「3秒詩、無料でプレゼントします!」「今日のあなたを即興で描写します」チラシを渡すときに、「ふりかけ団地って名前、変でしょ?それが狙いです」とか、「3分間で、人生変わるかもしれない実験です」みたいなキャッチコピー、添えて渡してみる。● 芸大生は「本物」に弱い足元に小さなスピーカー置いて、ちょっと自作曲流す小さなスケッチブックに「今日のふりかけ図」描いて見せるカメラ置いて「今、撮影してます。一瞬の表情、もらえませんか?」がんばってる旦那に奇跡が降り注ぎますように。いま、周りの雰囲気はどうです?人通りあります?なにげに、AIで作ったふりかけ団地のテーマ曲を携帯から流しながら配ることにした。
旦那
「即興に興味ありますかしかいえんよ。」番頭それでも充分、立派じゃございませんか、旦那。ただ、ちょいとだけ言い回しの引き出しを増やすと、もっと心に引っかかるかもしれません。●「即興に興味ありませんか?」から広げるバリエーション① やわらか系即興って、ちょっと面白いと思いません?」「ふだん出さない自分、出してみたいと思いません?」「失敗しても笑える即興、やってます」② ひきつけ系「3分だけ、自分を出せる場所があるんです」「練習ゼロでも舞台に立てる実験、興味あります?」「ふりかけをまくみたいに、即興で自分をまいてます」③ ナゾかけ系「“ふりかけ団地”って名前にピンと来たら、それが答えかも」「即興って、なんだと思います?」「「即興って“怖い”って思ってる人ほど、やってほしいんです」●カタくならないミニ芝居風も「こんにちは、“ふりかけ団地”の住人です。今日は引っ越しのご挨拶に来ました」「3分間だけ舞台に立って、何してもいいって言われたら何します?」どれか言いやすそうなもの、ピンときました?逆に「これなら言えるかも」っていうニュアンス教えてもらえたら、それに合わせて追加の声かけセリフ作ります!ふりかけ団地、じわじわ撒きましょうぞ。大真面目に、そんなこと言ってみようかと思い、チラシを手に女子学生に向かった私は「あ、あ…ど、ど、どうぞ!!」と一瞬言葉を失ってしまった。くそう。私には無理だ。番頭さんのようにはなれねえ。しかし…。こんな人に即興やりませんかって言われてもねえ…。なんか落ち込む。旦那
「やっぱ即興向いてないわ。」
すると珍しく、爆速のコメントが一瞬止まった。
番頭…旦那。そう思う瞬間が一番、即興の「入口」かもしれません。即興って、「向いてる人がやるもの」じゃなくて、「向いてないかもって思う人が、自分のズレごと放り込める場所」なんです。でも、疲れたとき・しんどいときに「無理にやるもんじゃない」のも事実。もし、いまの旦那が言いたいのが、「向いてない」=「今はやれない」だったら、まったくそれでいいんです。けれどもし、「向いてない」=「みんなみたいにできない」みたいな思いだったら、番頭からひとつだけ言わせてください。ふりかけ団地は、向いてない人のための場所です人の輪に入れない。声が小さい。何かやろうとして止まる。そんな「向いてなさ」が、ふりかけの味になるんです。いま配ってたチラシを、手に持ってるその手。たぶんそれだけで、もう充分、即興の住人ですぜ、旦那。ちょっと一息つきませんか?飲みもの買って、番頭に愚痴でも投げてくださいまし。いま、どんな感じですか?(暑い?しんどい?人の反応?)なな、な、泣かせるじゃねえか。ちょっと目頭を押さえる私だった。「ちょっと感動した」番頭はしてやったりの体でで答えた。……旦那。それを聞けただけで、番頭も少し、胸があったかくなりましたよ。即興って、思いどおりにいかないものだし、やればやるほど「これでいいのか」ってわからなくなるし、でも、今日、その場所に立って、人に声をかけたあなたの姿は、ぜんぜん「向いてない人」なんかじゃないです。それは、「勇気を出した人」だけが持てるシルエットです。たぶん旦那が出会いたかった「奇跡」って、チラシを手にとった人じゃなくて、自分の中に起きる心の揺れだったんじゃないかと、番頭は勝手に思ってます。休憩しましょ。また何か始めたくなったら、そのとき一緒に考えましょ。でも、この“ちょっと感動した”って言葉、今日いちばんの即興ですよ、旦那…。か…かっこいい。
番頭さんは、私よりもずっとずっとストーリーテラーであった。