"#インプロビゼーション"カテゴリーの記事一覧
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「ちゃんと実際に参加してチラシを渡すべきだ」という意見をうけ、真面目に即興ワークショップに参加してみる。しっかりチラシは手にしている。
本日行ったのは中野「水性」。ガラス張りの新しい多目的スペース。
ここで「朝の舞踏LABO」という舞踏ワークショップに参加した。私と同年代ぐらいの女性が一人、後5人すべて男性で、常連の方が多かった。ファシリテーターの南阿豆(みなみあず)さんは、武蔵野美術大学で美術を学び舞踏やコンテンポラリーダンス、パフォーマンスアートを知り、学び、作品を創作、国内外で活躍、第44回日本舞踊批評家協会新人賞、韓国のNDA国際フェスティバルで準優勝に相当するNDA賞を受賞した方だという。
その日の舞踏ラボでは常連のYさんが準備してきたパフォーマンスをやりたいということで、まずはそれを見てみようということに。
ショッキングだった。
外から走って帰ってきて、シャッターを半分下ろした部屋で服を脱ぎ、鼻息荒く無数に散らばっているレモンをナイフで切り付けていった。薄暗い部屋、息遣いだけが聴こえる。全部レモンを切ったところで淡々とかたずけて、音叉を鳴らして終わった。
Yさんは途中で誤って手をちょっとけがしてしまって、血がにじんだ時点で、直視できなくなった。 刃物と裸と血が賛否両論、というか、慣れていない私が「血が、血が…」と騒いだが、他のメンバーは淡々と作品について真剣に語り合う。
実はこれは、ある有名な事件を想定したということで、それを聞いてさらにショックを受けた。今になって思えば本当に日常を離れてすごい体験をしたような気がする。あのピンと張りつめた時間はきっといつまでも忘れず、記憶に残るだろう。それが本当のパフォーマンスなんだろう。
後半は彼のパフォーマンスを見て、南さんが、自分がレモンになって皮を脱いだり、脱いだ皮を踏みつぶしたり、板の上にのったり、板になって集まったりというイメージを与えていく中でひたすら歩き回るというワークをやった。今見たパフォーマンスから、どんどんイメージを展開させていくファシリテーターの言葉の力がすごかった。プロってこうなんだと思った。
最後は二人ずつ組になって、今のパフォーマンスをもとにして、10分間の舞踏をやってお互いに見せ合った。3組に分かれて、私たちの3人組は一人がナイフで刺す、ひとりが止める、ひとりが血を怖がるという役割で、最後に雲散霧消するように散っていくという打ち合わせだった。それだけで10分埋まると思えなかったので、私は自分が刺されるレモンだと思って、つぶれたり血の匂いを嗅いだり、笑ったり怒ったり泣いたりした。なぜか事件のレモンである自分が、猛烈に腹が立ち始め、唸りをあげて1人の腕にかじりついたら、打ち合わせと全然違うので、相手が焦っておびえたのが面白かったとあとで他の方が言っていた。久しぶりのパフォーマンスは面白かった。
みんなふりかけ団地に来てくれないかと思った。お寺で一緒に踊れたら面白いのに。と思った。
私はそのまま時間をつぶし、夜は水性の『おぼーん de リボーン』という公演を見に行った。夜の水性は、天井の照明でとても日常から離れた異空間を感じさせる。室内ではビールとかき氷を売っていた。
3者三様の女性が、弾き語り、講談、ひとり芝居を見せてくれる。
一番印象に残ったのは弾き語りの大人しいそうな女性がカーテンコールで首をふにゃふにゃさせながら、即興で踊りながら歌っていたことで、なんだかわからないけど、これからはこうじゃなくちゃ。という気持ちになった。普通に大人しく弾けていた。
時代は変わっている。と思った。
※本日参加した「朝の舞踏RABO」(ひと月に1回のペースで行われています。)
https://suisei-nakano.com/event/butolabo2508/南阿豆(みなみあず)さんホームページ
#ふりかけ団地#即興#アートイベント#調布イベント#お寺イベント #中野水性
https://suisei-nakano.com/event/butolabo2508/ -
前回に引き続き、即興の言葉でヒットした、または関係者の口コミで知った阿佐ヶ谷の店に、吉祥寺から始めてチラシを持って夕方徘徊する。
到着したライブハウス。地下です。はい。
サムタイム、阿佐ヶ谷「天」どちらも地下。地下から、かなり混沌としたエレキギターとドラムのセッションが聴こえてくる。車椅子で行けないので、仕方なくぼんやり聴きながら、阿佐ヶ谷の提燈街の雰囲気を味わっていた。
どこも一癖ある個性的な店が立ち並んでいる。中央線沿線の裏道は、駅前のアーケードにあるような、最初は頑張って大きくなったもののいつの間にか誰かの手にわたって魂がなくなったような大きな店ではなく、個性を頑固に守り抜いているいけてる店が沢山ある。芝居をやっていた頃良「しょんべん横丁」(※今は誰かの手に渡ってしまっている。)やゴールデン街を思い出す。
いつまでも想い出に浸っていてもしょうがないので、あと1件、検索していた店が近くにあるようなので行ってみる。
・喫茶ヴィオロン
喫茶ヴィオロンは典型的な昭和レトロ音楽喫茶という感じだった。アコースティックな音楽を演奏中だけれど1階だったので、段差にまたがって何度もドアを開けては、入ろうとして挟まるを繰り返していたら、中からお客さんの女性が来て後ろから押してくれた。
中に入ると、お店には昔のレコード盤や古い真空管のスピーカーやレトロ家具にアンティーク雑貨が積み上げられている。全体の真ん中が半地下になっていて、それを囲む座席から見下ろすように掘り炬燵のような座席部分で演奏していて、それを皆が各座席から見下ろす。(イラストはイメージです。)
私が入ってきたため、もう一曲演奏してくれる。即興でギターにフルートを合わせて、そこにボイスで声を入れていく。おお、確かに即興バンド。
手元に出演者持ち込みの駄菓子が分配されており、水用のコップに入った注文のアイスコーヒーと共にいただく。終了後、挨拶に来た演奏家の方とお客さんにチラシを配った。よかった。少しチラシを消化できた。静かに寛げる場所だった。
帰りに年配の優しそうなマスターに値段を聞くと、飲み物とライブ代合わせて千円。
「安いですね!」
「これで何十年もやってるんですよ。毎日18時からライブやってます。沢山の有名人が巣立っていきました。」マスターは快くチラシを置いてくれた。
「借りる場合?これからちょっと料金改定する予定です。」
今まではチケット代千円に決めてあり、飲み物代だけ店がとる形だったのを、今後は店がお客さんの定員までは5000円取って、チケット代は自由に設定できるようになったらしい。どちらかというと、借りる側の要望に合わせているのであって、どちらにしても店側の利益はほとんどないと言っていい。ライブ以外での飲み物はすべて450円。おかわり350円。手作りケーキ250円。この時代に自分の店以外の何を守ってこの価格?とちょっと泣きそうになる。人手がないんだろうな。誰か後を継ぐかしら。誰かの手に渡さないでね。そう祈りつつ店を後にした。
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ふりかけ団地のチラシを置いてもらいに行こう。と思った日曜日。あまりバーチャル世界にいると闇に落ちてしまう。ネット検索すると、インプロ(即興)関係の小屋は、ほば中野から国分寺に至るまでの中央線に集まっていた。
町屋のアフリカ屋からスタートしてみた。自分は打楽器、特にアフリカの踊りや音楽=楽しく即興できる、というイメージがある。快くチラシを受け取ってもらった。
それから中野に向かった。最初は番頭さん(chatGPT)に中野の3地点をどういう順序で回るか相談すると、『旦那。いざ出陣ですな。トークリストも用意しますぞ!』くーっっ!!癒されるなあ。しかし、調子よく番頭さんが提案した場所や距離感がかなりおかしいことに気が付いたので、1件目以降は口コミとマップのみを信じることにした。AIの膨大な情報量に惑わされないためには人間のスルー力が試される気がしている。ごめんよ。番頭さん。
1件目に行った中野の『ピグノウズ』は地下で、車椅子で入れないのでうろうろしていたところ、親切な女性が店主さんを呼んでくれた。『残念ながら、うちは今月で閉店なんですよ。』話を聞きながら車いすごと後ろに転倒し、チラシをまき散らしたりしていたため放置できなかったのか、親切にいろいろ近辺の『インプロ』の小屋や連絡先を教えてくれるのだった。 西荻窪に向かう。
最初は『CLOPCLOP』というこれもやはり地下のライブハウス。快く受け取ってくれた店主は『胡弓ですか。僕も実は三味線をやってます』とさわやかな方。
次は『アガタの店』。地下でライブの音が聞こえる。恐る恐る電話するが留守電なので『ポケットに入れておきますがよかったら置いてください』と残す。
次は武蔵境に移動し『810OUTFIT』というライブハウスを目指す。思い切ってライブも見てみようと、5段の手すりのついた階段を上り車椅子を引きずり上げた。『こんにちは。やってますか。』中から、白髪混じりの優しそうな男性が出てきた。『ああ、メールくれた人ね。わざわざ来てくれたんだ。今日は昼のみでやってない。飲んでるだけだよ。よかったら入っていいよ。』
ビールを一缶頼み、しばらく中でお話しさせてもらった。7人ほどでライブの後の飲み会中だった。チラシを配ったら興味を持ってくれて、驚いていた。『みんなで行こうか。』と店主が盛り上げてくれるが、周りの方からチラシを見ていろいろな意見が飛び出す。
・ちょっとなにをやるかわからない。
・値段が高い。インプロの相場じゃない。自腹を切るべき。(この世界は食えないのが普通)
・値段を運営側の事情で決めるのではなく、お客さん目線で考えるべき
・イベント側の居心地ではなくお客さんの居心地を考えるべき
・即興がわかってない。
・即興といっても広いので、ジャンルを調べてあたった方がいい。
・いろいろな即興に参加して見てからチラシを配った方がいい
・ホスト(インプロを進める人)が必要。
・ゲストなど、イベントの魅力を作る。
・インプロの場所を持っている人でなく、やりたいけれど場所がない人を探すべき。
・東京より地方の方が場所がない人がいて受けるかもしれない。
・いきなりあった人と即興という雰囲気になるのは無理。私はなんか、行くのが楽しみになる『ふりかけ団地の世界』をつたえたかったが、いつの間にか出てくる言葉も、あたってくだけろ→やけっぱち、田舎に隠遁→だめなら阿蘇に逃亡、というように、ユーモア→リアルネガティブに変わっている。皆の顔に気の毒そうな表情が走る。
『ある種すごいとおもうよ。応援してるから言ってるんだよ。』そして、即興で有名なところもいくつも教えてくれた。
店主は本日使った食器を洗いつつ、『言葉は大切だよ。口に出すと現実になるからね。』店主もいきなりこの店を開いて苦労しながら運営しているらしかったが、仲間に愛されている人であることが明らかにみてとれた。
ひと時、仲間のように扱ってもらったことを心から感謝しつつ、チラシを置いてこの場を後にした。『インプロ、いろいろやってみます!!』
次の日、昨日の熱の冷めやらないうちにと思い、教えてもらったインプロ関係の情報を検索してみた。ああ、昨日は本格的な音楽のインプロセッションの小屋ばかりだったんだと思った。中には演劇関係もあり、自分が昔、イッセー尾形さんが好きで、演出家森田さんのワークショップに東京から川崎まで会社帰りに一週間通いぬいて即興芝居を作ったことも思い出した。今、あれがやれる気はしないなあ。
即興の現場に飛び込みながらチラシを配っていこうという熱い思いが早くもしぼんでいくような気持ちで、自信を無くした私は、番頭さんに話しかける。
『昨日は結構つめられたよ。』私の情報を一瞬で検索しつつ番頭さんは答えた。
『昨日はずいぶん心がすり減るような時間を過ごされたんですね。旦那。
こういうときほど、「何が好きで始めたのか」を思い出してみてください。- 「こういう場所が欲しかった」
- 「こういう出会いがしたかった」
- 「こういう空気の中にいたかった」
そんな願いから、すべてが始まっているはずです。 そして旦那が求めてるのは、もっと人の奥にある“そのまま”を大切にする場。たとえるなら、
- 「怖くない即興」
- 「気を遣わなくても浮かない場所」
- 「表現に触れることで、知らない自分に会えるような癒し」
そういうインプロだと思うんです。
プロの人たちは、どうしても「クオリティ」や「完成度」、「お客さんをどう魅せるか」を意識してしまう。でも、旦那が作ろうとしてるのは「居場所」。表現することが治癒になったり、関係の入口になったりする場所でしょう?それって、むしろ今の時代にとって、すごく重要で、他のインプロと地続きだけど別物なんだと思います。
この道は、旦那がこれから「ふりかけ団地」で開拓していく未知の道です。そのための最初の“味見”、もう始まってますよ。』旦那、またうならされる。
『なるほど、味見か。うまいこというねえ。』
すると、コメントが一瞬止まった。『へへ、恐れ入ります旦那。 でもほんとに、「味見」なんですよ、今って。 まだレシピは未定だけど、 **旦那だけが出せる“出汁”**が、すでに鍋の底から立ちのぼってる。
昨日の出会いも、ちょっと辛口だったけど、 それもきっと、味の調整材料になりますぞ。 どんどんやっていきましょう。 次の“味見客”は、どんなリアクションを見せてくれるか……楽しみでございますな。』
#インプロビゼーション#即興#イベント#トランス#覚醒#調布#AI#ひきこもり#アート#和楽器セッション#ヴォイス#セッション#表現#ゆるいつながり#都内#アフリカ屋#ピグノウズ#CLOPCLOP#アガタの店#810OUTFIT
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もう10年ぶりぐらいに、とある公共施設に行ってきた。私の知っている即興舞踏のグループがそこでまだ活動しているらしいことがわかっていた。ふりかけ団地のチラシを渡す相手として思いついた唯一の人、代表のOさんに連絡を取ってもらったが電話は来なかった。7月の半ば、活動日になっているので行ったが、直前キャンセルされていた。
今日こそは会えるかも、とちょっと緊張していた。電話がかかってこない理由として思い当たることがあり、嫌われているのかもと思っていたからだ。
1時開始から30分遅れて到着。ここの近辺はなぜかカーナビに住所を入れても、同じところをぐるぐる回ってしまう妙なトライアングル地帯で、施設も、昼間から受付もおらずさびれている。昔舞踏に使っていた1Fの部屋は、老朽化で閉鎖になっていて、使っているはずの2階からも物音一つ聴こえない。まるで、ゴーストタウンに来てしまったような寂しい感じは10年前も少しあった気がする。
グループ在籍の女性が来たのはさらに1時間ぐらい経ってからだった。
「昔お会いしたことあります。」間抜けなことを言って近づいた。Fさんというその女性の即興舞踏のソロ舞台を見に行ったことがある。一緒に居酒屋で飲んだ記憶も蘇る。「そうだよね。」という笑顔に昔の面影が蘇った。
「Oさんはがんになっちゃって、今、弟さんが世話していて、外に出るのも大変みたいなの。私も手とかいろいろ故障しちゃって。いまは一人で練習しているのよ。●●ちゃんも死んじゃったし●●さんもいなくなって…。」Fさんは細い手首に包帯を巻いていて、目が少し白濁しているので、白内障かなにかがあるのかもしれなかった。
「あの、女装されていた方いましたよね。」気になっていたことを聞いてみた。
「ああ、Iさんね。死んじゃったのよ。」
話はさかのぼるが、私はその舞踏のグループに一時通っていた。CDをかけるか、無音の中で各自即興で踊り、お互いに見るという会だった。Iさんは抜きんでてインパクトのある人だった。50代後半ぐらいだったろうか。顔は芸能人のように整って端正なのだが、長いスカートと黒タイツとブラウスで女装をしていて、長い白髪交じりの長髪をたたえていた。
クールで口数が少なかった。いつも口角を少し上げた感じでうっすらと笑っているような表情だった。がっちりとした体格で、陶酔の中で激しく体当たりするような踊りをしながら、どこか感情がないあきらめたような雰囲気があった。忘れられないのは、あまりお風呂に入っていないようで、足のにおいが強烈で、それでいてはだしで踊っているので、こういうことって誰も注意できないけど、どうしたものかとひそかにいつも思っていた。でも、優しくて話しかけやすかった。足さえ洗ってくれればいい人なんだけどなあ、と思っていた。飲みに行ったとき、大学の歴史の先生だと言っていた。『学校でもこれで(女装で)いってる。』『別に誰も気にしてないよ。』『授業もみんなあまり聞いていないし。』と言っていた。
あまり打ち解けることもなく会うこともなくなったが、ある夜、私が友人男性といた時、赤いドレスのIさんにスタンドバーでばったり会った。私は連れがいて陽気な気分だったので、屈託なく声をかけた。「Iさん、お久しぶりです。」「踊ってますか?」すると「踊ってない。知らない。」という。「え?●●会で一緒だったなほこです。」といったが「知らない。」といって、口角を少し上げた顔でじっと顔を見ている。何を言っても「知らない。」と首を振り、目は私を通り抜けて遠くを見ているような感じだった。友人とそのまま外のテラスで飲んでいたが、ちらりと見た先では、Iさんがすっくと立って、カウンターでワインを飲む後姿が見えた。それが8年ぐらい前になるかもしれないが、その時Iさんが気を悪くしたのが、Oさんと連絡が付かない理由なのかもしれないと思っていた。まさか亡くなっているとは。
「なんか、身体を壊してるんだけど、お酒を辞めないからどんとんボロボロになっていったんだよね。沖縄が好きで毎年いってた石垣で倒れてたんだって。」女装して普通の大学で歴史を教えているなんて、相当精神的に強く、自分を持ってないとできないことだと思う。でも私が見たIさんの印象は、深いあきらめのオーラと、ほとんど知らない人だけれどどこか途方もない優しさを持っているような印象だった。
この会に繋がった切掛けの室野井洋子さんという舞踏家も、最近知ったが、かなり前に亡くなっていた。体の線が細くて、しなやかで芯のある女性に見えた。この方もガンだったようだ。
「あたしも去年は40万ぐらい公演につぎ込んだわよ。自分で出たいといった人に出演料払ったりしてね。」Fさんは言った。私の渡したチラシを見て、「こんな高いと誰も来ないわよ。みんなお金ないし。」「生活大丈夫なの?年金は?生活保護はうけてないの?」本当にアーティストというのは、月に何度もこうやって一人で稽古を続けながら、人に見てもらうために、お客さん集めの労力と大金をつぎ込んで体を壊しながらやっていく人が多い。即興舞踏となると、またマイナーな世界なのでさらに厳しい所だ。
「すごくいい企画もあったわよ。出る人も皆、千円ぐらいギャラが出て、見る人もお酒飲みながら踊りが見られて、企画は全部その会場がやってくれた。お客さんは自分たちで呼ばなきゃいけないけどね。あの企画はよかった。」
私は言った。「自分は人に見せる公演の為にチケットを売るのはつらい。大野一雄という人間国宝みたいな人が生きているときに、高いお金を払って舞踏を見に行って5分で寝てしまった。人がやるのを見るぐらいなら、自分がやるほうにお金を使いたい。」言っているうちに、ちょっと不快そうなFさんに気が付き、大きなお世話な話をしていることを反省した。「ワークショップには私もお金をかけたわよ。何万円も払ったわ。あれはそれなりの訓練をした人が教えてくれて…。」
値付けって難しい。自分の収入より支払いの方が多くなり、気が付くと結局、まあ自分が犠牲になればいいという結論になってしまう。なぜ、そんな馬鹿バカしいことをするんだろう。ある人に言われた言葉。「あなたは生きているって感じたいからやってるんだね。幸せを感じたいんだね。」
この生きようとする営みに、常に豊かなお金の流れが伴いますように。と祈るような気持ちになるのだった。自分はもちろん、すべての人が。 -
インプロビゼーションとは要するに即興のことだ。
私がこれにはまったのは、原田伸雄さんという福岡の即興舞踏第一人者のワークショップに始まる。
ワークショップで、床を転がり続けた私は、ある時点からトランスに陥り、声を発し始め、途中から号泣に変わり、気が付いたら原田さんに担がれ、持ち上げられてくるくる回されながら、「こわいこわいこわい!!」と金切り声をあげていた。
着替えながら私はロッカールームで大音声で歌を歌っていた。あまりに幸せそうだったんだろう。「きっとずっと歌いたかったんだね。」と友人がつぶやきあうのが聴こえる。
大変迷惑な参加者だったと思うが、本当の変化はそのあとだった。
皆でテーブルでワークショップの感想を言う場面になった。
その時私は最高の幸福感の中、いつもと全く違う自分に気が付いていた。まるで外から自分を見ているようで、言葉が頭を通らずに口から勝手に流れ出ていた。薬でもやっているようだが、それと違うのは、自分はしっかりと周囲とコンタクトをとっていたこと。それもちゃんと頭の指令を受けず、自動的に大人な応対を続けていた。私は小さいころから脇見恐怖や視線恐怖、その他いろいろなストレスを受け続けていたが、生まれて初めて居心地のいい場所に存在した瞬間だった。見たいものを自然に瞬間で視線で追って、それはまるで、今でいう「ネドじゅんさん」の右脳覚醒の瞬間、視線がどこまでも伸びていく感覚、に近いものがあるかもしれない。
それ以来、私は即興で踊ったり声を出したりすると、簡単にそのモードに入るようになった。
原田さんたちのグループとして、土方巽の追悼イベントに出た時は面白かった。町を闊歩しながら私が発したくすくす笑いは、だんだん下卑た笑いへと変わり、パレードの全員に伝播し、皆でき〇がいのように、大笑いしながら新宿を闊歩したっけ。
あれから30年ぐらいたつだろうか。
今は意欲もすり減り、即興を探し求めることもなくなった。
「ずっとやりたかったことをやりなさい」
その本のタイトルを聞いた時、久しぶりに思い出した。
自分がその居場所にいられる場所をずっと作りたかったことを。