ふりかけ団地前夜祭まで、あと4日。チケットは売れていない。まあ、チケットサイトを立ち上げて1週間ぐらいしかたっていないので仕方ない。
普通なら青くなって走り回るところだが、サレンダーを決めている。
この無謀な企画には一つの課題がある。「やりたいことだけやること」だ。ばかみたい、と言われそうだが、今までのようにロバに鞭打つように自分を鞭打って成功しても、永遠に何かするたびに自分を鞭打たねばならないという教訓を得るだけだから、今回は自分でも「うけひ」のつもりでやっている。
チラシも実際17日に来て、10枚ぐらいしか減っていない。気は重いが、ここはやるとこでしょ。
パソコンから離れ、チラシをもって、知っている唯一のインプロの生(なま)巣窟に行ってきた。
この和楽器のサークルは、まさに私がチラシの裏に書いた「私の求める人物像」(「誰も来ないんじゃないか」ブログより)そのものの人が集まっている雰囲気がぷんぷんしていて、実際に過去に私がやったイベントに、コロナの中、最後まで付き合ってくれた人たちもいる。
主催者は完璧な主婦をこなしながら、100人に近いメンバーを束ね、運営とイベントをほぼ一人で切り回す、リーダーシップと母性を兼ね備えたまれにみる若い女性で、主催をすべきはこんな人というべき社交性を身に着けている。和楽器という難しいアンサンブルをする機会を、ただ好きという理由一つで続けている。渦の中心人物だ。
参加するのもなかなか気骨が折れる私が、顔もたまにしか出していないのに図々しく宣伝にいったけれどやはり、菩薩のように受け入れてくれるのだった。
反応はまさかの「おもしろそう。」チラシの裏の、「私の求める人物像」を読んで、ひくこともなく笑っている部員たちはきっと、どこか思い当たる節がある、ふりかけ団地の住民にぴったりの方々らしい。 お互いに視線をそらしながら、チラシの宣伝を終え、自らを「よし、よく行ってきた。」と褒めながら帰る。なにせ数か月は引きこもっていた私だ。
よし、あとは自分の好きなことをやろう、と、お世話になっている古着屋のトレファクに寄って、26日に着る衣装を選んだ。
何度行っても売れずにあって、さらに毎回つい手に取ってしまっているような気がする手垢が付いたワンピースと、それを着ている年配の自分が滑稽にならないぎりぎり感のある薄いジャケットを組み合わせて買った。古着なのに合わせて1万もした。クーポンを使ってみたけれど100円しか引いてもらえない。
帰ってぶら下げてみたら、なかなかいい感じ。誰も来なくてもこれを着ていれば楽しくなれるはず。見ていると、このイベント告知を見て「中央線沿いの駅に向いている」と言った人の言葉が蘇る。
なるほど。年をとっても自分のカラーって変わらないものだなあとしみじみ思うのだった。
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